会社名が、株式会社小島アクセサリー製作所とあるように、製造メーカーであり続けることと、作り続けることを基本理念にしております。
日本におきましては問屋に納めるメーカーと称される立場のもののほとんどが、自社工場を持つことのないアッセンブルメーカーであり、その時点ですでに一次問屋であります。
昭和63年にはイタリアとのキャスティング技術における技術交換を開始し、メタル鋳造の上で最も重要なキャスティング技術向上に向け、日夜努力しております。 また、製造することのノウハウは当然のこととして、昭和58年4月よりヨーロッパでの独自の市場調査、流行調査を開始、以来年3回のヨーロッパ出張を21年間続けております。今ではお得意様にファッションの情報を提供させていただくにいたっております。
しかし、日本において作り続けることに挑戦してまいりましたが、日本人の高学歴化、高賃金化に伴い作り手不足に悩まされ続けてきました。 そこで、平成7年3月フィリピンのセブ島に会社を設立。手加工(ハンドクラフト)をフィリピンに移行することに成功した結果、リーズナブルプライスで、高技術、高品質な商品を日本の市場へ提供することができるようになりました。
弊社の基本理念は前へ向かって作り続けること、たゆまぬ技術開発、オリジナリティー溢れる商品の企画開発です。 そしてなにより、ファッションをひとつの文化としてとらえ、社会に文化貢献をし続けることです。 私たちが真心込めて作り上げた商品を是非一度、お手に取ってご覧下さい。
創業者、そして父である小島英三郎の志を継ぎ、アクセサリー工場を継ぐ。
メイド・イン・ジャパン、日本人の物づくりの精神をアクセサリーに込めて、物づくりを続ける。
お客様の喜ぶ顔を見る事と、女性を美しく飾るアクセサリーが大好きな東京世田谷生まれの日本人です。
代表取締役 小島 弘美
昭和35年8月7日 | 東京都世田谷区に小島英三郎の次女として生まれる |
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昭和54年3月 | 東洋英和女学院高等部を卒業 |
昭和56年3月 | 武蔵野美術大学短期大学 油絵科を卒業 |
昭和56年4月 | アトリエたんたんを設立、子供たちに絵画を教える |
昭和57年3月 | 父の経営する株式会社小島アクセサリー製作所の企画として入社。 以来、毎年3回ヨーロッパへ出張し、トップトレンドを取り入れる。 |
昭和63年5月2日 | 株式会社ティップ・トップを設立。 株式会社小島アクセサリー製作所にて製造したアクセサリーの新たな販売先を獲得。 |
平成3年3月 | アクセサリーの個展、フェイディアスを開催 |
平成4年10月 | フランスパリにて開催される、プリミエールクラスにアクセサリーを出展する。 |
平成5年3月 | 同じく、プリミエールクラスに出展する(パリ) |
平成6年10月 | 同じく、プリミエールクラスに出展する(パリ) |
平成7年3月 | フィリピンのセブ島にアクセサリーのハンドクラフト加工場を設立 |
平成16年12月 | 株式会社小島アクセサリー製作所の代表取締役に就任する |
商号 | 株式会社小島アクセサリー製作所 |
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創業 | 昭和31年2月1日 |
創立 | 昭和40年4月1日 |
資本金 | 1,000万円 |
所在地 | 〒158-0091 東京都世田谷区中町5-4-10 TEL:03-3701-6978 FAX:03-3701-6986 |
役員 | 代表取締役 小島 弘美 取締役 小島 里子 取締役 秋田 満里 |
従業員 | 東京本社 6名、フィリピンセブ島 13名 |
取引銀行 | 三菱UFJ銀行 玉川支店 |
アクセス情報
【東急田園都市線 用賀駅から】
用賀駅入口、5番バス乗り場から 等々力操車所行き、または恵比寿行き・瀬田営業所行きへ乗車。『神学院前』バス停下車。徒歩約3分。
【東急大井町線 等々力駅から】
東急バス 1番乗り場 等12系統 梅ヶ丘行きへ乗車。『中町五丁目』下車。徒歩約4分。
弊社は自社工場にて、アクセサリー等の商品を製造。
特にメタルと手組みのコンビネーション商品には自信があります。
何度も検品を行うチェック体制や自社での商品管理による低不良率と100%のアフターケアーが特徴です。
中国の協力工場での低単価なアクセサリーも生産可能です。
フィリピン セブ島 の海外工場
ハンドクラフト(手工芸)を得意とするフィリピンに、アクセサリーの組み立て工場を設立。
フィリピンならではの小牛、ウッド、貝(シェル)、プラスティックの素材をオリジナルデザインで製作。
日本の素材と組み合わせてユニークな作品を製作。
また、フィリピンならではのマクラメ技法を使い、心温まるユニークな作品を製作しています。